ホーム お知らせ 吉田 忠雄(よしだただお 1908-1993) 世界にはばたく企業 YKKグループの創業者 吉田 忠雄(よしだただお 1908-1993) 世界にはばたく企業 YKKグループの創業者 2009年2月6日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■少年時代 「自分の家にも栗の木植えてみよう。」 吉田忠雄さんは拾ってきた栗の実を何度となく植えましたが、なかなか芽が出ません。どうして芽が出ないのか不思議でたまりませんでした。 ある日、山栗拾いをしていると、春に芽生えたばかりの栗の苗を見つけました。掘り起こしてみるとほんの小さな芽でしたが、地面の下には、とても数多くの根がびっしりとはっていました。北陸の厳しい風や雨、雪にも負けない立派な樹木に生長するには大地にしっかりと根を張ることが大切だということを知りました。 忠雄さんの母は、小さいころの忠雄さんの性格を「ゴンボの末まで知りたがる子」と言い表しました。「ゴンボの末」とは、地面の中にあるゴボウの根っこの先まで知らないと気がすまないという意味で、いろいろなことに興味をもち、その原因を知りつくさなければ気のすまない、追究心の強い子でした。 ■貿易商をこころざして東京へ 「東京へ行って、大きな商売をしたい。」 小学校を卒業してから兄の経営する店で手伝いをしていた忠雄さんは東京にあこがれ、自分が働くところは東京しかないと考えていました。 ちょうど、いなかにも洋服が流行し始めていたころです。忠雄さんは近い将来必ず大流行するだろうと目をつけていました。 「洋服屋になれば必ずもうかる。しかし、それではたかがしれている。」 忠雄さんは先の先まで追究して洋服生地をあつかう貿易商になろうと考えたのでした。 「上京するからにはきっと成功するぞ。」と思いながら、20年育った故郷を後にしました。車窓に映る家々のともし火に思わず涙があふれました。 東京では、日本橋の古谷順平さん(ふるやじゅんぺい)の家にお世話になりました。古谷さんは入善町出身で、中国の陶器輸入する店を経営していました。忠雄さんは、古谷商店を手伝いながら就職先を探しましたが、不景気が続く東京でなかなか就職先を見つけることはできませんでした。そこで、忠雄さんはそのまま古谷商店で働き続けることになりました。 ※ 吉田忠雄の「吉」は下の線が長い字 ※ あきらめないから道は開ける 忠雄さんは、どんなに苦境に立たされても、そこであきらめないからこそ次がある。あきらめないという気持ちの持続があれば、必ず道が開け、「やりがい」、「仕事冥利(しごとみょうり)」を味わうことができる、という言葉を残しています。 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ 【2/28(金)~3/2(日)】インターネット相談窓口等の受付停止のお知らせ 4/13(日)マイナンバーカードの休日窓口を開設します KOKOくろべで「健活」&「クラフト体験」 大雪に関する情報はこちらから(令和7年2月17日更新) 防災まちづくり講演会を開催します! 令和6年度黒部市高齢・障がい福祉施設等物価高騰対策支援金について 宇奈月温泉スキー場からの大雪に関するお知らせ 第7回マイプロジェクト発表会を開催します! 【2/21(金)】 お知らせ一覧へ