ホーム お知らせ 佐々木 大樹(ささきたいじゅ 1889-1978) 祈りの彫刻家 平和への思いを彫刻に託す 佐々木 大樹(ささきたいじゅ 1889-1978) 祈りの彫刻家 平和への思いを彫刻に託す 2009年2月5日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■彫刻家への道 生い立ち・少年時代 佐々木大樹さんは、明治22年(1889)、父次郎四郎さん、母そわさんの三男として、下新川郡愛本村大字音沢村(おとざわむら。現在の黒部市宇奈月町音沢)に生まれました。本名は長次郎といい、兄2人、姉3人、妹1人の男女7人兄妹の大家族でした。 父は、農業のかたわら酒の販売や、宇奈月温泉上流の黒難温泉(くろなぎおんせん)を経営するなど、経済的には恵まれた家庭でした。 長次郎さんは幼いころから無口で、絵を描いたり、彫り物をしたりするのが好きだったそうです。また、黒部川に流れ着く流木を拾うことを楽しみにし、いろいろな形をした流木を集めていたようです。この木との出会いが後の木彫へとつながっていきます。 このころの小学校は4年制で、音沢小学校を卒業した長次郎さんは、明治33年、舟見尋常高等小学校に入学します。 高等科2年生のときの話となりますが、秋の写生会の時に黒部川と愛本橋の景色を描いた長次郎さんの絵は、あまりにも見事な出来栄えだったので、学校中の評判になったといいます。その絵を見た校長先生は、多くの人にその絵を紹介すべきだと考え、幻燈画(げんとうが。スライド写真)にして他の学校や父兄にも公開したそうです。 それは美術の才能が少しずつ花開いてきたときのことです。そして、卒業を間近にした長次郎さんは、自分の進路について考え始めていました。当初、大工の見習いを考えたようです。そのころは、小学校を卒業すると多くが見習い奉公に出されたり、大工や左官の技術を習得させられたりするのが一般的でした。 しかし、長次郎さんは好きな美術への道を進もうと心ひそかに考えていたのです。 ※ 無口で穏和な人柄 口数が少なくもの静かな人で、お酒が好きだったそうです。無口で穏和な人柄が物語るように、出世に対する欲はあまりなかったようです。大きな賞を受けながらもそれを利用して世渡りをするということはしませんでした。 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ 大規模小売店舗立地法の届出 ICT支援員を募集します 大雪に関する情報はこちらから(令和5年1月30日更新) 市営住宅等入居者一般募集の一時停止について 寒波に伴う水道の節水について 道の駅KOKOくろべ 無料クラフト体験教室 KOKOくろアツアツ鍋まつり2023 KUROBEアクアフェアリーズが道の駅KOKOくろべにやって来る! お知らせ一覧へ