市指定文化財[建造物]

[更新日:2016年11月16日]

長安寺山門及び付属土塁

市・建造物
昭和六三年四月三〇日指定
黒部市若栗三五二一(長安寺)

  長安寺は、かつての館跡と伝え、庭田某が住し、入膳城(現・入善町)と相呼応したという。もと長方寺と称したが、承応元年(一六五二)頃、長方寺から長宝寺が分離した。寛延二年(一七四九)長安寺と改称した。 

 長安寺の山門は、一間一戸楼門、上層・正面五・四五b、奥行三・六三b、下層・前幅三・四五b、奥行二・二二b、軒高一〇b、入母屋造の茅葺きである。

 前面軒下に「法城寺」の山号額をかかげ、後面軒下に牡丹を図案化した透彫の彫刻(彩色)を蛙股状に配している。下層の中央部に両開扉を蝶番でとりつけ閂を指す。両脇に小屋根をのせた袖壁を配し、右側の袖壁にくぐり戸がある。茅葺きの屋根は棟を竹で押さえている。これは、この土地の民家の屋根形式にならったものである。

 土塁はコの字形で、東西八一b、南北五九b、北側があいている。幅約四b、高さ二b内外の現状であるが、旧土塁は高さ一b、幅二bの規模と考えられている。南北に山門・通用門のため二か所が切断されている。黒色土で盛られ、河原石の混入が少ない。表面は河原石でおおわれ、竹・杉などが植えられていた。戦国時代の遺構と考えられる。

●富山地方鉄道「舌山駅」下車、徒歩二〇分

 

松桜閣

市・建造物
平成七年一二月二二日指定
黒部市若栗二七七四

  松桜閣は初代富山県知事の国重正文(一八四〇〜一九〇一・山口県出身)が明治一六年(一八八三)に住居として建築したものである。 

 この建物を旧加賀藩山廻り役であった、若栗の豪農西田家の五代豊二が購入し、移築したものである。昭和六年(一九三一)に天真寺が西田康之助より屋敷ごと購入し、建物にふさわしい庭園を造成した。

 松桜閣は、全体に数奇屋風の造りで、柱は細く一〇・六a、天井高が一九六・九a、細部の造作や意匠に大胆な手法が各所に採り入れられている。八畳間二室・茶室・手洗い・台所・女中部屋一室に風呂場がある。茶室は、元の玄関わきにあるが、移築、改造されている。二階は三方出窓とし、その外側に出窓高四五・五aより上に一七五・七aの高い雨戸を入れている。これによって室内は非常に明るい。 

 二階一〇畳間の二間床、その脇の大きな円窓、上隅を切った欄間窓など思い切った手法である。 

 畳は一七五・七aの越中畳である。京間は一九〇・九aまたは一八一・八aであるから、地元の大工の施工と思われる。

 この松桜閣は京都の銀閣寺に似た造りで、復元保存すれば、庭園との調和がよく貴重な建造物である。

●富山地方鉄道「舌山駅」下車、徒歩五分