市指定文化財[民俗文化財]

[更新日:2016年01月26日]

若埜神社の花火大筒

市・有形民俗文化財
昭和五二年五月二七日指定
黒部市若栗一二九四(若埜神社)

  近代の火薬花火は、中国における火薬の発明以後(一三世紀)のもので、戦国時代の天文年間(一五三二〜一五五五)鉄砲とともに南蛮から日本に渡来した。唐人の打ち上げ花火を徳川家康が江戸城で見物した記録が残っている。

 若埜神社の花火は、越中の花火と言われたもので、明治のはじめから大正一三年(一九二四)まで、秋祭の一〇月一七日の早朝から夜にかけて、若埜神社参道の西側にしかけ、打ち上げられたものである。 

 明治三〇年(一八九七)頃の大花火は、若栗の豪農西田収三(一八五四〜一九二五)の肝煎りで行われ、それを見るために金沢方面から人力車で来村、宿泊して観覧する者もいたほど盛大であったという。当時使用した筒は、大小合わせて一三筒(一〇地区各一筒、西田武右衛門・西田収三各一筒、村の大筒一筒)である。

 花火の筒は、若埜神社に向かって左側に置かれ、右側につくられた若衆・年寄衆の踊り舞台から桟橋をかけて通えるようになっていた。祭りの当日は、村の一〇地区対抗で花火と踊りの優劣を競った。

 ●富山地方鉄道「若栗駅」下車、徒歩五分

 

若埜神社の大幟一旒

市・有形民俗文化財 
昭和五二年五月二七日指定
黒部市若栗一二九四(若埜神社)

 祭礼・節供飾り・大漁祝いに用いた幟旗の起こりは、さおの先に杉の葉などをつけて神を迎える依代(神霊が出現するときの媒体となるもの。神霊の寄りつくもの)からきたものといわれている。

 若埜神社の秋祭(一〇月一六日・一七日)にたてられる大幟は、明治一三年(一八八〇)若栗村の大地主であった西田豊二(一八四二〜一九〇六)が奉納したものである。

 この大幟は、参道の中ほどにある鳥居の横にたてられ、縦二〇b、横二・八bある。布地は当地産の新川木綿を一八反用いて作られたもので、県内最大のものと思われる。幟に書かれた「若埜神社」の文字は、一字が二bにおよび、筆者は西田豊二である。支柱は三〇bもあり、これをたてるには一二〇人の作業員を要したといわれている。雨の場合、幟をおろさねばならぬため、二〇人の作業員を待機させていたという。費用のかかることから一〇年に一回立てることになっていたが、昭和二〇年頃から不定期になっている。

 最近では、昭和四二年(一九六七)の大豊作、昭和五九年市制施行三〇周年、平成一二年第五五回国民体育大会、平成一八年黒部市と宇奈月町の合併による新黒部市誕生を祝って立てられた。

 ●富山地方鉄道「若栗駅」下車、徒歩五分 

 

獅子頭

市・有形民俗文化財
平成一一年三月二五日指定
黒部市生地経新一〇〇四(黒部市立生地小学校)

 富山県内はもとより全国的にも江戸時代初期の獅子頭はあまり残されていない。この獅子頭は、江戸時代に製作されたもので、中世の形態の特徴をよく保持している。

 頭の頂部と鼻の高さがほぼ同じであり、鼻は長くてしわが刻まれ、一見して竜に見えるので竜頭ともよぶ。異様に大きな目玉が上を向き、歯並びは粗い。全形は平たく勇健素朴なつくりである。

 製作年代は、承応三年(一六五四)の陰刻がある。富山市八尾町には文明一三年(一四八一)の古獅子頭があるが、当獅子頭も銘文のあるものとして希有な逸品である。

 「 承応第参
   寿春□
   重長(花押印) 」

 江戸時代初期の獅子頭の形態や、その芸能を考究する上から貴重である。 

●あいの風とやま鉄道「生地駅」下車、生地小学校まで徒歩二〇分
 または、国道八号黒部IC交差点から車で一〇分

 

しばんば

市・無形民俗文化財 
昭和三一年一月一三日指定
黒部市生地地区(しばんば保存会)

  「 姐まいさどや(勇ましや)錨のはだこ(肌着)
   質に置いても流りゃせぬ
   わたしゃ生地の荒磯育ち、女波男波にむれて咲く 」
等がうたわれている。

 七七七五調の即興歌であり、誇張のない穏やかなメロディーで、地味ではあるが情味のこもった民謡である。

 笛と尺八は古い頃からの伴奏楽器だったが、近年は三味線(二上り)・太鼓が加わった。生地町の漁師たちは、東北・北海道まで出漁していて、男女ともに気性が素朴直情で、うたにもそれがよく表れている。燃料の柴を刈り運ぶのは老女の仕事ということで、いつとはなく柴姥となった。また新川木綿の糸繰りうたとしてもうたわれていた。

 しばんばのうたと踊りは、古くから生地町にのみうたい踊り継がれてきたもので、隣接する地区には、その流れをくむうたはない。悠長なこのうたと踊りは、生地の風土に根ざして生じた民謡で、他町村に受け入れられることもなく、一町内にとどまってきたのであろう。

●あいの風とやま鉄道「生地駅」下車、黒部市コミュニティセンターまで徒歩二〇分
 または、国道八号黒部IC交差点から車で一〇分

 

布施谷節

市・無形民俗文化財 
昭和三一年一月一三日指定
黒部市東布施地区(黒部市布施谷節保存会)

  「 泣くななげくな  布施川柳   水のでるのも  ひとさかり
   水はでるでる  柳は踊る    川の石なも  音頭とる 」
等がうたわれている。

 布施谷節は布施川流域に伝唱されてきたもので、婚礼などの祝儀歌として歌われるので、めでた節ともいわれている。また、わじまとも呼ばれるのは、能登のわじま節の系統を引いているからで、能登輪島の漆職人が漆掻に布施の山林に入ってきて歌ったものだという。

 わじま節の源流は海うた系統のまだら節であり、佐賀県東松浦郡馬渡島に興った船乗り歌といわれている。船の行き来によって日本海を北上し、輪島まだらとなり、さらに布施谷節となったものである。

 古くから伝えられる歌詞は、土地の人々の生活がにじみ出ていて、かつて新川地区で綿織物の加工が盛んであった頃、糸繰り歌としても歌われた。一時期衰退したが、昭和五年(一九三〇)荒木得三が西布施の畠山与次郎より採譜し、現在に歌い継がれている。

●富山地方鉄道「電鉄黒部駅」下車、池尻行バスで「阿弥陀堂」下車
 または、国道八号田家交差点から車で二〇分

 

えびす迎えの行事

市・無形民俗文化財
昭和三五年七月一九日指定
黒部市荻生地区・若栗地区

 一一月二〇日の夕方は、恵比寿様が旅先で稼いだ金をもって帰ってみえる日だというので、荻生・若栗地区では、各家庭が大戸を開けて主人が出迎える。恵比寿様は炉端で休息したあと風呂に入り、食事となる。この時主人は、本年の豊作と金もうけをさせていただいた感謝の言葉を言上する。

 供える膳は、恵比寿様の一柱分が準備され、海山の幸が盛られる。家によって多少の違いはあるが、神酒・生鯛・小豆飯・魚のみそ汁・おひら・果物・なますなど、この他二股大根を恵比寿大根といって欠かせない神饌としている。二股大根は神のよりつく依代である。供えた食事は、ころあいを見て膳を下げてきて主人がこれを食べる。

 この行事は、神送りをする一月二〇日の早朝にも同じ作法で行われる。恵比寿様は豊かな実りや富をもたらす神であり、家と出稼ぎ先を往復するというので、もとは家々の祖先の神であったという説もある。これは奥能登地方に伝承されているアエノコトと類似していて、天皇家の新嘗祭とも関連のある民間伝承行事である。

●富山地方鉄道「長屋駅」「荻生駅」「舌山駅」「若栗駅」で下車
●開催日は、一月二〇日、二月二〇日

 

愛本新用水天満宮松明祭

市・無形民俗文化財
昭和五六年一月一〇日指定
黒部市宇奈月町愛本新地区

  寛政(一七八九〜一八〇一)の初め、黒部川右岸舟見野台地の愛本新一帯は、田畑を拓くにも水がなく村人は大変困窮していた。当時の十村役伊東彦四郎は、加賀藩一一代藩主前田治脩(一七四五〜一八一〇)に用水を開削することを建言した。用水は寛政一〇年(一七九八)に着工され、五年の歳月を費やして享和二年(一八〇二)に完成した。

 待ちに待ったその日、村民こぞって黒部川上流の水の取り入れ口方面に向かって、松明をかざして水迎えに行った。これが松明祭りの始まりである。こうして愛本新に新たに四〇〇町歩の美田が生まれた。藩財政の困窮にもかかわらず、灌漑に尽力された治脩公の存命中であったため、これを生祠した。全国的にもまれである。

 祭りは毎春治脩公誕生日の四月四日に行っていたが、現在は一〇月五日に行われている。この祭りの祭主は、難工事を成し遂げた伊東彦四郎であった。現在もその子孫がこれを務めている。

●富山地方鉄道「愛本駅」から車で五分
●開催日は、一〇月五日

 

生地たいまつ祭り

市・無形民俗文化財
平成二八年一月二六日指定
黒部市生地地区

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  生地たいまつ祭りは、享徳三年(一四五四)八月二五日深夜、突然の暴風に襲われた漁船が遭難しかけた時に、闇夜の海上で一筋の明かりをみつけ、それを頼りに生地浜へ無事生還することができたという伝承が由来となっている祭りである。遭難しかけた漁船を導いた明かりが、新治神社のご神火であったとの由来から、生還を感謝してこの祭りが永年黒部市生地地区において続けられてきた。

 この祭りは、「たいまつ祭り」という名称ながら、その実態は「松明祭り(火祭り)」、と「恵比須・大黒信仰」が習合して行事が構成されていると見なされる。加えて、「神様が舟形に乗り移動する」という特色をもち、さらに「御神灰信仰」「メンダラ(神輿の水先案内人、露払い役)」「恵比須・大黒が地区を巡回する」といった要素が複雑に入り組み構成されており、これらの要素は新川地区によく見られる風俗・習慣である。生地たいまつ祭りは、これら新川地区の要素に、生地の地域色を反映した珍しい行事である。

●あいの風富山鉄道「生地駅」から車で五分
●開催日は、一〇月二六日