福井 重成(ふくいしげなり 1851-1912)

[更新日:2009年02月09日]

■貧しい人々を救うために

 

 現在、みんなが豊かに暮らしていくための福祉制度は充実していますが、このころは、まだ、このような制度はありませんでした。そこで、重成さんは、明治44年に「貧民救助規程」という生活の苦しい家庭を援助する規程を設けました。

 

 これは、老人や幼児が多く生活の苦しい家庭、病気にかかって自分で生活できない人、13歳未満の親のいない子どもを対象として援助する規程です。援助の内容は、県の税金を免除するだけでなく、村のお金で生活を援助するというものでした。この当時、1つの村で貧しくて困っている人を助けるというのは、とても進んだ考え方でした。

 

 

■地方自治の確立、発展のために

 

 重成さんの活躍は、下立だけにとどまるものではありませんでした。重成さんの最も大きな功績は、地方自治の確立、発展につくしたことだと言えます。

 

 地方自治というのは、村の政治が住む人たちの意思に基づいて行われることを言います。これまで述べたような、50年先のための植林事業や貧民救助などがそうです。

 

 重成さんは、富山勧業諮問会員や富山地方森林会議員に選ばれ、県全体の向上に貢献しました。また、明治29年に郡会が開かれると、さっそく郡会議員に当選し、2期務めました。さらに富山県会議員にも2回選ばれました。そのほか、公職40年間におけるその他の役職は数限りなく、公共団体のために力をつくしたり、私財を寄付したりして、表彰されたことも多くありました。

 

 このように、明治新政府の方針が定まっていない時代に、地方自治確立のために働いた重成さんは、明治45328日、県民や村民に惜しまれながら62歳の生涯を閉じました。

 

 

※ 重成さんのルーツは漢籍

 重成さんは、小さいころからとても勉強することが好きで、8歳になるともう「漢籍(漢文で書かれた中国の本)」を習い始めました。その中から次第に礼節や忠孝の道を悟るようになり、他人や村全体のためにつくすという高潔な心構えが養われたのです。

 

 

       【重成さんの銅像(下立神社)】 

 

 

 

コラム 顕彰碑「樹徳厚生」

 

  下立1区に入り、旧県道を進んで行くと、右側に「粕塚」といわれる大きな岩の塊があります。これは昔、ここに金もちの酒屋があり、その酒粕が固まって石になったというのです。

 

 昔、1人の僧がこの酒屋に立ち寄って「酒粕をください。」と言ったところ、主人が、「あれは酒粕ではありません。石です。」といってことわりました。すると、僧の立ち去ったあと、酒粕はみんな石になっていたということです。粕塚はそんな伝説の残る岩なのです。

 

  その上に、「樹徳厚生」(徳を樹て生を厚くす)と大きく書いた福井重成さんの顕彰碑をたて、下立の人たちは、今も「福井さま」と呼び、偉業をしのんでいます。

 

 

 

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西暦 年齢 項目
1851   下立村に生まれる
1868 17 巡邏となる
1873 22 巡邏取締役に昇進する
1876 25 下立村副戸長となる
1889 37 三枚橋外14か所の戸長となる
1890 38 下立村初代村長となる
1891 39 下立簡易小学校設立のために働く
1896 45 6月に郡会議員、8月に県会議員となる
1904 53 地方自治発展功労によって勲章を受ける
1912 61 亡くなる