山田 胖(やまだゆたか 1886-1964)

[更新日:2010年02月05日]

■宇奈月温泉の誕生

 

 引湯工事は大正12年に終了しました。この日の様子を胖さんは『宇奈月温泉由来』に次のように書いています。

 

「この計画は、細かな計算を自信持って行ったが、不安も残っています。黒薙温泉でバルブを開けると言うので、私たちは宇奈月の管末に行ってみると、なかなかお湯が来ません。1時間余り経っても、冷たい水がチョロチョロと流れてくるだけでした。とてもがっかりとして合宿所に引き揚げ夕食をとっていると、工夫が駆け込んで、『湯が来ました!』と報告しました。箸を捨てて駆けつけてみると、管の末端から湯気が上がり熱いお湯が流れ出し、工夫達はお湯が出た場所を掘って、その湯をばしゃばしゃとかけ合って喜んでいました。」

 

 この日が宇奈月温泉の第1ページとなりました。こうして、1738,000リットルのお湯が黒薙から宇奈月まで引かれることになり、宇奈月温泉の建設が本格化していきました。胖さんは、宇奈月温泉の開祖となりました。37歳の時でした。

 

 その後、延対寺(えんたいじ)、富山館、桃原館(ももはらかん)などが次々と開業し、宇奈月はりっぱな温泉場になるとともに、柳河原発電所も完成し、猫又、欅平など、もっと上流にも発電所が建設されるようになりました。かつては人を寄せつけなかった黒部川も、急速に開発が進むようになりました。

 

 黒部開発の恩人山田胖さん。地域全体の開発という高い理想をもち、その実現に全力を傾け続けた胖さんが亡くなったのは、昭和39(1964)78歳の時でした。

 

                    【昭和初期の宇奈月温泉街】 

 

 

※ 胖さんの銅像

 昭和3311月、山田胖さんの功績をたたえようと宇奈月町長らが中心となり、「黒部開発の恩人・山田胖翁之像」を建てました。その像は現在「黒部川電気記念館」横の独楽園に静かに建ち、発展する宇奈月温泉と黒部峡谷を見つめています。

 

 

※ 宇奈月再訪

 山田胖さんは、昭和3869日に宇奈月温泉を訪問し、「40年ぶりに来ました。宇奈月温泉の発展はめざましいものがあります。私の働いていたころがしのばれます。」と、老顔をほころばせながら話しました。

 

 

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西暦 年齢 項目
1886   福岡県に生まれる
1910 24 東京帝国大学工科大学土木科を卒業する
1917 31 東洋アルミナム株式会社創立事務取扱となる
1917 31 技術調査のため欧米各国を巡る
1920 34 東洋アルミナム株式会社水力部長となる
1921 35 黒部鉄道株式会社常務取締役となる
1922 36 黒部温泉株式会社常務取締役となる
1923 37 黒薙から宇奈月へ引湯に成功する
1927 41 鶴見臨港鉄道株式会社常務取締役となる
1958 72 銅像が建てられる
1964 78 亡くなる