山田 胖(やまだゆたか 1886-1964)黒部開発の恩人 アイディアあふれる土木技師

[更新日:2010年02月04日]

 

 

■秘境黒部峡谷の電源開発に挑む

 

 大正6(1917)、アルミニウム工場を建設しようと宇奈月にやってきた人がいました。土木工事の技師として大変優れた才能をもつ、東洋アルミナム株式会社(1)の山田胖さんでした。アルミニウムの製造には多量の電力が必要なので、まず先に発電所を建設しなくてはなりません。

 

 黒部川は、急流で一年中水量が豊富なことから「電源の宝庫」と呼ばれ、水力発電所を造るには最も適した川です。しかし、黒部峡谷は「秘境の地」と言われるように、周りを高い山々に囲まれ、両岸は切り立ったがけになっているため、内山村(現在の黒部市宇奈月町内山)から上流は住む人が1人もいない、富山県では最も開発が遅れている川でした。

 

 内山村に着いた胖さんは、愛本温泉(2 あいもとおんせん)に泊まって電源開発地点の調査に専念しました。

 

 胖さんの電源開発における優れた働きは2つありました。1つは黒部川全流域をくまなく調査し、電源開発の可能な地点(柳河原(やながわら)、猫又(ねこまた)、欅平(きやきだいら)、黒四など)を明らかにして、黒部川電源開発計画の全体像を作り上げたことです。もう1つは、黒部川本流筋で最初の発電所となった「弥太蔵発電所(やたぞうはつでんしょ)」を完成させたこと、また黒部川で最初の本格的な発電所となった「柳河原発電所」の計画を指揮してその完成に貢献したことです。

 

 冬の工事は危険で困難とされていた黒部峡谷で、万全な準備をし、多くの尊い犠牲を払いながらも建設を成功させたのは驚くべきことでした。

 

 

1 東洋アルミナム株式会社

 アルミニウムを精錬するため、安い電力を得ようと黒部川の電源開発をはじめた会社。創業者は、タカジアスターゼの開発で知られる高峰譲吉さん(たかみねじょうきち)。山田胖さんはその担当技術者でした。

 

2 愛本温泉

 湯元の黒薙から9kmばかり下流のところに開かれた、この辺りで一軒の温泉宿。大正6年開業早々は一日に800人がつめかける盛況ぶりでしたが、次第に湯温が低くなって沸かさなければ入れなくなり、大正10年に台風被害を受けたこともあり、閉湯しました。

 

 

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